僕が音楽を辞めた理由。


閑話休題。

ここんとこずっと【こどもれもねいどのクラウドファンディング】の話ばっかりだったので、前から書こうと思っていた記事をひとつ。

 

 

 

僕は小学生からずっとバスケをしてたんですね。

そりゃもう一生懸命に練習してたんだけど中学の時に成長期もあって膝を悪くして、バスケを辞めてしまいました。

 

 

その名も「オスグッド・シュラッター病」。

 

 

病院の先生から病名を聞いた時は死んだと思いました(笑)

なんかわかんないけど、ずいぶんキレのいい刃物でも振り回してそうな名前です。

 

 

それまで懸けていたものが急になくなり、途方に暮れていた僕に家族が勧めてくれたのがギターです。

高校に入ってからは軽音部に入り、大好きなブルーハーツのコピーとかをばんばんやってました。

ギターのほか、ドラムを始めたのも高校の時です。

 

「 THE SHOOL-RIOTS 」

 

今きいてもカッコいいなぁと思うバンド名なんだけど(笑)

若気の至りと青春がデンデケデケデケしまして、勉強なんてそっちのけでバンドしてました。

 

「一生懸命になれるものがある」

ほんとにもう、これだけでオッケーで。

 

メンバーのボーカル小林くんは今や羽曳野のブドウ農家で、こないだも農地について話してたところです(笑)

ベースのよっしんは喫茶ピーコック改装時にロールカーテンを付けに来てくれました!

 

 

これだけのめり込んでいたので、進路相談も当然「僕、ミュージシャンになるから。」の1点張り。

大学の付属高校に通っているにも関わらず、「ひとり暮らししながらバイトしてバンドする」という王道の進路を進んだのです。

 

 

当時はまだモンゴル800も出てきてないし、「青春パンク」なんて言葉もなかった時代だったので、青春でパンクしてるだけではミュージシャンにはなれないなぁと進路変更。

「maple flake」というバンドを結成し、ウケを狙いにいきました。

ベースの羽賀くんはミュージシャンとして活動しています。

 

 

 

オーディションやコンテストに出たりしましたが、審査されたり営業に出るのがむずむずしてきてまたもや進路変更。

バキバキにライブハウスで大暴れする「ベグビー」ではずいぶん色んな所に行ったり、作品を作ったりもしました。

 

今ではボーカルの田村くんはこのサイト(PEACOCK64)のシステムエンジニアであり、ベースの上林くんはギターカスタムショップをオープンしました。

 

ライブ→曲作り→練習→録音→音源制作→ライブ

…の無限ループを懇切丁寧にこなしていましたが、とある年末にバイクで事故を起こしてしまい手首を骨折してしばらくドラムが叩けなくなりました。

 

宙に浮いたような感じで過ごす毎日、ふと、実家の近所にある図書館に入り暇をつぶしていたんだけど。

そこで偶然出会った本。

 

「戦争と地震の記録」

 

それはもう、震えるくらいの衝撃で、色々なことが頭を駆け巡りました。

ギターを手にした時からずっと走ってきて、ここで急ブレーキがかかったような。

 

そして自分の無力感にやるせなくなったのです。

 

自分はミュージシャンになりたい、音楽で生活していきたい、毎日を一生懸命生きていきたい。

そんな自分の夢を実現すべく全てを捧げていました。

 

でも、この極限状態の中では、「僕の音楽は全く役に立たない」と思ったんです。

歌える歌もなければ、差し伸べる手だても持っていませんでした。

 

 

もっともっと生きないと、人の役にも立たない。

そう思ってバンドを辞め、思いつくままに行動しました。

 

 

群馬県嬬恋村にキャベツを作りに行ったり、半導体を工場で作ったり。

いちばん印象に残っているのは瀬戸内海ヒッチハイクの旅です。

 

もうほとんど逃避行の旅だったんだけど、たくさんの人と気持ちに出会い、時間もあったし、色々なことを考えました。

ここでも途中、右目が「中心静脈閉塞症」という放っておけば視力を失うようなやつになり、ドクターストップ。

 

 

僕の人生は要所要所、必ずドクターストップがかかります(笑)

右目の手術、入院を経て、バンド時代にお世話になっていたライブハウスで働き始めました。

 

 

何かもう、悟りでも開いたんかというくらいの脱力感ですが、今の僕のイベント制作・企画・各種スキルはここで学びました。

ここでの上司である亀井さんに、64ROASTERSのロゴは作ってもらいました。

 

 

 

解脱したかのようなゆるさを身にまとい、やんわりと始めた「路地ロジック」。

練習やライブもしましたが、同じかそれ以上にBBQや花見、そば打ちや陶芸、動物園や星空を見に行きました。

写真は曲に合わせた映像を作っているところ。本やフリーペーパーを作り、ロジ会と称した遊びサークルも運営。

ギターの新くんはPEACOCK64の紙モノデザイン全般をやってくれています。

 

それからは細くゆるく、他のバンドを手伝ったり、結婚式やパーティで演奏したり。

30過ぎてからの冷やしパンクバンド「THE ROE」をやったり。

 

 

 

特に最近は、あちこちで歌ったりすることが増えました。

自分で歌いたい!とか、演奏したい!じゃなくって、盛り上げるため、役に立つから、です。

 

 

 

でね。

ここ最近、自分の人生を振り返って(今ここに書いたようなことを)、何となく腑に落ちたことがあって。

 

 

バスケは膝を痛めて辞め、ギターを始めてドラムもやり。

ドラムは手首を折って思うところあってバンドを辞め、自分探しの旅に出て。

旅も目を悪くして、結局は地元に帰ってきて。

そして今、地元豊中でまた音楽ができている。

 

 

ミュージシャンになる!という夢を掲げて社会に出て、ベグビーを辞めるということはその夢をあきらめることだったなと、ずっと思っていたんだけど。

 

 

でも、あの写真集を見て、自分の無力を感じた時に、「力が欲しい!」と思って。

しかもその力というのは、将来を切り開く力や、人を勇気づける力、誰かを救う力や周りを楽しませる力。

 

僕がブルーハーツを聴いた時に憧れた、その力。

 

 

 

僕はバンドは辞めたけど、なんだ全然あきらめてないなぁと思えたんですよね。

手を変え品を変え、一生懸命になれる場所を探して。

 

 

17歳の時にもらったあの勇気を、今もあきらめずに持ち続けているんだとわかったんです。

 

 

しっかりまっすぐに生きて、力をつけ、誰かを勇気づける。

 

 

それが、バンドや音楽じゃなくっても。

 

 

 

 

 

「れもん」であってもいいじゃないか。

 

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よろしくお願いいたしますっ!!!!!!!!!!!

 

…って、結局これかーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!(笑)


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