踊ってばかりの国、喋ってばかりのおっさん。

 

よく最近、「10年後に消える職業」みたいなのが発表されるじゃないですか。

機械化やテクノロジーなど、時代の進化や変化の中で必要がなくなるってやつ。

切符切る人や写真の現像とかね、今までもこれからもずっとあるでしょう。

 

 

僕の身近な部分で言えば「コーヒーの焙煎」ですよね。

今は機械のプログラムでも焙煎できるし、スマホアプリと連携したりしてるやつもあります。

これでシェアが拡大していけば、生産コストが安くなり、小売りや家庭にも普及し始めるわけです。

 

つまり、「機械のように焙煎できる人」は必要なくなり、機械で十分だということになるわけです。

機械はインフルエンザとかなんないしね。

 

 

 

これを考えていくとすごく面白くって。

 

ちょっとした専門職であった「コーヒー屋さん」は、コーヒーをもっと広めたいという思いからコーヒーをどんどん宣伝したり普及させたりしていくわけですよね。

雑誌やメディアも巻き込んで、ブームを作り出すわけです。

知識はもちろんのこと、技術やノウハウなどもどんどん公開しちゃう。

 

コーヒー好きな人が増えたり、日常生活により身近になっていきます。

その結果として、自宅でコーヒーをドリップする人や「おうちカフェ」を始める人も出てくる。

コーヒーは喫茶店じゃないと飲めない時代が終わっていくんですよね。

 

それじゃいかん!ということで今度は自家焙煎を売りにして、より専門的にアピールしていきます。

それに乗じてブームが起こり、焙煎のノウハウを公開した結果、自分でも焙煎してみたい!という人が増えてきます。

需要があれば供給されるのが社会の仕組みなので、当然のように「家庭用小型焙煎機」が登場します。

生豆を卸していた商社も小売りを始め、シェアが拡大するにつれ生産コストが下がり、家電量販店などで「コーヒー豆焙煎機」が売られるようになります。

 

「ホームベーカリー」がまさにそうだと思うんだけど、コーヒー業界にとっても同じようなことが言えるし、なんなら占いとか建築関係でも同じようなことが言えると思います。

 

「好き」な人たちが「好き」を伝えまわった結果、自分たちの必要性が薄まっていくっていうお話。

 

 

 

話を冒頭に戻しまして。

機械やテクノロジーの進化は、人間の「ラクしたい」という気持ちに応え続けてきました。

洗濯・掃除・料理、あらゆる家事や仕事の中での「面倒」を解決してきたのです。

 

そして、機械が生んでくれた時間を使って、僕らは必死で働きます。

なぜなら、ラクできる機械を買いたいから。

もっとラクに暮らしたいから、がんばって働くわけです。

 

しかし、会社や工場、家庭においても「設備投資」というのは資金面でもハードルがあります。

買ったはいいが、使わなかったら(使えなかったら)どうしようという不安もあります。

そこで必要とされたのは、「機械のように働く人間」でした。

 

スイッチを入れれば黙々と働き、故障や文句もなく、スイッチを切ればきちんと止まる。

使わなかったら(使えなかったら)、契約を解除しよう。

そういった「人間」が量産されていきました。

 

 

まだまだ人間の欲求というのはとどまることを知らず、そんな機械や機械のような人間にも「融通や臨機応変」を求めます。

「指示待ち人間」や「言われたことだけをやる社員」では満足しなくなったのです。

相手の気持ちを察する、言わずもがな動く、「おもてなし」の精神が求められていくわけです。

 

 

そこで次に登場したのが、「人間のような機械」です。

きちんと経験を積み上げ、状況を判断し、相手に合わせて最適に動く。

相手の求めているものをかなり忠実に再現できる「機械」が生まれました。

 

それはもう、人間が人間としてのノウハウを機械に提供しているようなもので、到底太刀打ちできません。

なんと、相手はインフルエンザにならないのです!!!!!!

 

 

 

まぁ簡単に言うと、そんな感じで人間が作り出したはずの職業が人間の頑張りによって消えていくわけです。

僕もコーヒー屋として、この問題はどうしたものかと考えていました。

 

 

そこで一つの結論に至ったので、本邦初公開。

テクノロジーに勝てる唯一の方法、それは、、、

 

 

 

「人間のような、人間になる」ことです。

 

 

インフルエンザなんて、なっちゃう時はなっちゃえばいいんです。

復帰した時に「大変やったな!もう大丈夫なんか??」と心配してもらえるようなキャラになればいいのであって。

失敗も成功も一緒になって分かち合える、一緒に生きて死んでいけるような関係を作れるかどうか、にかかってるんじゃないかと思うんですよね。

 

 

 

スーパーのレジも、無表情で黙々とピッピするおばちゃんは消えます。

 

「あ、兄ちゃん!またこのパンばっかり食べて!!たまにはお米も食べなあかんよ~、日本人なんやから!」とか言いながら、なかなかピッピしないおばちゃん。

カウンターでの話題に花咲きすぎて、すぐにパンを焦がしちゃう喫茶店のマスター。

雪が降ってきたからといって、すぐに外に出て走り回っちゃう喫茶店のマスター。

警察官が集まっていたら「事件ですか?何ですか?」とすぐ首を突っ込んじゃう喫茶店のマスター。

 

 

もう、ペッパー君が見たら憤慨しそうなキャラクターこそが、これからの時代には合う気がするんですよ。

僕の地元でも、長年に渡って続いているお店はむちゃくちゃ人間味があります。

 

よう喋るおっちゃん、いつも笑顔のおばちゃん。

無愛想なおっちゃんも、機械ではありえないくらい、ペッパー君も激怒するくらいに無愛想です。

 

 

多様性を受け入れるとかダイバーシティとか「新しい時代」のように言われてますけど、巡り巡って、日本の村ってそうだったんじゃないの?ってとこに行き着きました。

 

 

色んな人の、色んな考え方や癖、こだわりとかね。

それをスムーズに繋げるためだけに、テクノロジーが活用されればいいんじゃないかと思うんですよ。

少なくとも人間は、人間を死守しなくちゃいけない。

 

 

僕らしい、僕。あなたらしい、あなた。

ズレがあるから興味を持って、愛せるんだと思います。

 

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