音楽とはコミュニケーションツールである。

 

昨日は「ギタスナフェス実行委員会」として、大阪音楽大学のミュージックコミュニケーション専攻の授業におじゃま。

ギタスナフェス2018の趣旨や意義、開催目的や2017年の様子などをお話ししてきました。

 

実行委員長藤田さんの熱い想いとゆるクレ(=ゆるくてクレイジー ※褒め言葉です)なキャラ、ぶっ飛んだ数字に学生もどよめき、なによりも先生がどよめくという(笑)

何を学んだわけでも現場に張り付いて叩き上げたわけでもない、本業をしもって、趣味で野外フェスを開催するという奇行。

散々、実行委員会ミーティングでも話し合って、僕らが行き着いた結論はただひとつ。

 

 

・小さな音を束ねて、大きくする。

・鳴っていない音を、鳴らす。

 

…勢いでふたつ言っちゃいましたが(笑)、「音楽があふれるまち、とよなか」を僕らなりのアプローチで実現します。

 

「音楽があふれる」というのはなにも、おおきなハコを作ったり大規模なステージを組むだけじゃないんです。

たとえばこんなのや、、

こんなのも、、

こんなのだって、、、

 

お金にならなくても、みなが楽しめればそれでよし。あふれるって、こういうことでしょ。

藤田さんがギタースナップスの活動や楽器の修理をする中で、「聞こえてはこないけれども小さな音は鳴っている」ことや「鳴っていない音がまだたくさんある」ということがわかったと言ったことで、「じゃあそれ全部鳴らしましょうよ!」と相成ったわけです。

ギタスナピクニックにしろ、練習部にしろ、とにかく【小さく鳴っている音を束ねていく装置】なんですよね。

 

部屋で、お店で、小さなスタジオで、大切に、丁寧に鳴っている「あなたの音」をぜひ聴かせてください。

11月17日服部緑地野外音楽堂で、小さな音たちが響き合います。

 

 

ここんとこ立て続けに、音楽っていいなぁと思ったことがあって。

 

ひとつはこないだ交野でやってた「はるちゃんちのさくらまつり」。

これも個人宅での出来事ですからね(笑)

 

そんでもって、こないだ「ギタスナピクニック」。

僕は「お鍋」で参加しました。

この鍋ね、最高の音なんですよ。

チューニングもミュートもできる。

 

こういう、「時間や暮らしを豊かにするために鳴っている音」が音楽の原点であり、それを介して人が繋がる共感のコミュニティこそが「音楽あるれるまち」なんじゃないかと思うんです。

資本主義貨幣経済の中で、音楽をもお金に変えちゃっただけの話で。

 

↓※音大の学生相手に「商業音楽は死んだ」と訴えかけるうえしば。

 

 

モノやデジタルコンテンツはどんどん無料になり、相対的な価値は下がっていきます。(絶対価値はありますよ、もちろん)

わかりやすく言えば「音楽は売れない」ということ。

こんなこともう誰だって言ってるし、この話すると長いので省きますけど(わかりやすいのはこの例≫金爆/ローラの傷だらけ/http://realsound.jp/2014/08/post-1196.html)ようするに時代がもうそうなっちゃってる。

音質の良いCDやハイレベルな楽曲、完成度の高い演奏はもう飽和してます。

そんな中、コストかけて全国流通に乗せて「円」を取りに行かなくてもいいのに、と思うんです。

 

で、今、音楽で取りに行くのは、円ではなく「縁」。

コミュニティやファンといった共感の輪を作り、そこで独自の経済を作っちゃう。

需要と供給、コストと利益のバランスを取ればいいわけです。

マネタイズする必要もないのかもしれません。

歌うたって晩ごはん貰えば良いんだし。

 

ミュージックコミュニケーション専攻がどういう勉強をしてるのかさっぱりわからないまま、これからの音楽にはコミュニティが必要で「音楽」はコミュニケーションツールになる。

そこをいかにデザインし、経済を作ることができるか?なんていう、自分でも実験中のお話をしました。

豊中の音楽は豊中が支えればいいんだし、なにも大手に頼る必要もないんです。

 

 

そんなわけでやっぱり今すんごく興味のある、「地縁を取り戻して貨幣経済を終わらす」ことや「円を全部、縁に変える」みたいなことに終始。

きちんと解説すれば、平成生まれの方が理解できると思うんだけどな。

 

昭和のおっさんはもうずいぶん腰にきてますからね(笑)

人生初の鍼しました。

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