※この記事は以前「一生懸命を笑え.net」に書いたものを再掲載しています。
あまりにも物が多かったので「亜論茶論」で食器や雑貨のフリマをしたんですよ。
ほとんどのものが無料とか100円とかっていう破格で。
たくさんの人が来てくれて、それぞれの手に渡って、片付けながらふと思ったことを徒然と。
・「届く場所」に置く、「届く棚」を作る。
僕にとってみれば不要な物だったり、喫茶店の備品はどこにでもある物。
でも他の人にしてみたら、見慣れないものだったり、手に入らない物だったりしたわけです。
それが無料だったり数百円で売ってるもんだから、すごく喜んでもらえた。
”喜んでもらえそうな誰か”に情報が届く仕掛けは必要だと思う。
同じものでも「どの棚に置くか」で価値は変わるんだし。
相対価値の高い場所に自分で棚を作って、そこに置こう。
・「亜論茶論」っていう場所が良かった。
SNSの写真や僕のブログではちょいちょい出てくる場所なんだけど、実際に来たことある人は限られていたので、その興味を「体験」にできたことが良かった。
みんな「物を買いに来た」んじゃなくて、「訪ねてきた」感じがしたんですよね。
全くの未知ではなく、「ちょい既知まだ未知」が一番気になるっていうやつ。
これは場所に限らずあらゆるコンテンツに当てはまると思う。
人でいうと「ミステリアスな部分に惹かれる」っていうのと同じ。
亜論茶論はこれからもぼんやりさせていこうと思った。
・僕らは「価格」のやり取りじゃなくて、「価値」のやり取りをしていた。
「これも無料でいいの?」、「なんでこんなに安くするの?」と度々聞かれたんだけど。ちょっとここで種明かしをしますね。
(あんまり言うと角が立ちそうだけど)
例えば、自分が5000円で買ってほとんど使っていない鍋があったとします。
ネットオークションで見ると3000円くらいしてたとしても、自分でフリマで1000円で販売したとして。
当然、「え!こんなに安くでいいの?」っていうことが起きるんですね。
でもこれって、「(3000円くらいしてもいいはずなのに…)いいの?」っていうことなんです。
ということは、”3000円の価値”をお客さんは感じているっていうこと。
それを1000円で買えたんだから、2000円分くらいの「価値」がお客さんの手元には残っていることになりますよね。
「得した!」ってやつです。
そもそもは、僕らは。
【 現金で支払った1000円という価格+得した2000円分の価値=はじめに感じた価値(価格) 】
っていう、価格と価値の総量でもって買い物という「等価交換」をしているわけなんです。
で、今回。
僕が大事にしたのは、「自分が手に入れた価格(お金)」ではなく、「相手が手に入れた、等価交換できていない未精算の価値(恩)」なんです。
(※わかりやすくするために便宜上「恩」と言ってますが、あくまで比喩です)
ざっくり言うと、「うえしばくん、ありがとー!!」をたくさん集めたことになります。
細かく言うと、「関係資本」をたくさん集めたってことです。
ここに集約させようと思うと大事なのはこの2つ。
・僕自身が顔出し実名で面と向かってやる。
・自分の暮らしの範疇(生活圏)でやる。
「メルカリで売る」とか「リサイクルショップに持ち込む」とかっていう、日頃関わりのない人のところに向かって価値を流してしまうと、価格で返ってきても価値で返ってこないので。
「無記名の即時決済」は、価値の循環に繋がらないんです。
代理や代行を立てるのも、効果半減ですよね。
こんなこと言うと「恩着せがましい」とか言われそうなんだけど、喫茶ピーコックが地域で半世紀以上に渡ってやっていけてるのは、「恩送りと恩返しのラリー」によるものです。
400円くらいしそうなコーヒーを350円で出しているので、50円分の価値をその日はお客さんが持って返ることになります。(=恩送り)
そして次の日、その50円分の価値を返しにまた来店されるわけです。(=恩返し)
地域の中で経済資本(お金)の循環ももちろん大事だけれど、関係資本(恩)の循環も大事。
価値と価格をバランス良く扱えるように。
スナックのママさんが言っていた「ツケがなくなったら店は終わりよ」っていうのが、ここ最近やっとわかってきました。
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