「こどもれもねいど」を始めてなかったら、僕はこの週末何をしていたんだろう。

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今日、ウチの娘(5歳)が唐突に、「お父さんって、何で”れもねいど”始めようと思ったん?」と聞いてきた。

 

 

これ、よく聞かれるんですよ。

で、いつも答えてるんだけど。

もう今では色々なことが重なって、繋がり、広がり、コミュニケーションが生まれるプラットフォームのようになってるけどね。

 

 

本当の本当の始まりは、「2人の子供たちと”遊ぶ”ため」なんです。

 

地元のお祭で店の前に机を出して、子供たちがお店屋さんごっこをやればいいやと思って。

その時にカルピスかレモネードだったら子供だけで簡単にできそうだと思って。

アレックスレモネードスタンドみたいにチャリティでもできればいいなぁなんて。

 

じゃりン子チエみたいに、地域の大人(様々な背景の人達)と関わり、お金や働く(他者に働きかける)ということを体感しながら成長していくことがこれからは必要となってくるだろうし、そこの予習をしないまま社会に出るほど「ぶっつけ本番」はないだろうと思っているので。

 

 

ところがどっこい。

 

それが今やあらゆる形に変化・派生していって、状況を説明するのに時間がかかるまでになってしまって。

僕自身も勉強しながらなんだけれど、とてもありがたいことです。

こちらから発信することもあるし、色々なお話を頂くことも増えてきました。

 

 

 

 

そして、今週末。

 

土曜日は喫茶ピーコックを臨時休業し、れもねいど農園へ。

38歳最初の全身筋肉痛に見舞われるほどに鎌を振り回してきました(笑)

これだけの草、刈ったことあります?

僕も初めてですよ、こんなの。

ここ、豊中ですからね。

 

 

 

 

そして日曜日。

豊中自動車教習所で開催された「わくわくフェスタ」にマホットコーヒーのお手伝い&れもねいどの宣伝で行ってきまして。

 

 

ものすごい人だかりの中、コーヒー屋コーヒー屋を手伝うという(笑)

僕は会計係とお待ちのお客様と雑談係。れもんキャラのまま。

ピーコックの「ピ」の時も出さず、一滴たりともドリップせず、マホってきました。

 

そして目が合う子供たちに手を振り、ガチャガチャをしに来た子供たちに絡み、現地にいた顔なじみの知り合いに声をかけまくるという、ようするに「実際いるんだけどあまり仕事しない人」として頑張って。(笑)

バイト先に必ず一人はいる、あのタイプです。

 

まぁ、一番頑張ってたのはもちろんマホットコーヒー店主の大槻さんで、その次にスタッフのホソヤくん。

一番年上の僕は前日の畑作業で体が言うことを聞かず、あまりにも体が言うことを聞かないので、「もう言わない。」という体と心の絶縁状態で終始にこやかにゆるキャラってました。

 

 

 

無事にイベントは終了し、片付けをして家族で鳥貴族に行った後は、日曜晩の恒例、月曜日の仕込み。

サラダや色々準備しながら、パソコンでYouTube鑑賞

そんで今、これを書いてます。

 

 

実はこの時間がすごく重要で、だいたいビジネスや講演系の動画を見聞きしながらメモを取りながら。

この1年くらい、毎週2〜3時間こんな感じでやってます。

 

「うえしばさんは大学で何か学んではったんですか?」とか「喫茶店の人がなぜそういう思考になるんですか?」とかよく言われるんだけど、こんなことやってるからですよね(笑)

高卒だし、ビジネスセミナーや異業種交流会や勉強会は嫌いです。

昔から決まってそうで、自分のペースで勉強(インプット)したいんですよ、何事も。

人に直接習うの、苦手です。学校の授業もついていけなかったし。

ギターもドラムも独学です。

 

 

なので、情報源は?と聞かれると「YouTubeと本です。」と答えます。

あとは実践。

 

仮説と行動、検証と再構築。

 

 

「こどもれもねいど」以外にも色々やってるけど、ここ1年でぐぐっと広がったのはやっぱりそれが大きい。

もしあの時僕がふとした思いつきを行動に移さなかったら今の状況は生まれていないし、娘が僕の行動に疑問を持つこともなかっただろう。

 

 

この「自分の子供が、自分(親)の行動に疑問を持つ」というのが面白くって。

 

よく見てるんだなぁと思ったし、理解できない部分があるから疑問を持つんですよね。

疑問があるということは、目に映る状況を処理しようとしているということ。

周りの大人に関心を持つというのはすごく大事だなと。

 

今の子供たちはすごく発達しているし、これからは情報の扱い方も変わってくると思うので、子供たちが大人を見た時にある種の方程式のようなもので「あー、だからあの人はこうなんだな。」と結論付けられちゃうこともあると思うんですよ。

 

 

「結果がわかっちゃってる世界」ほど退屈なものはないと思います。

これまではそこを保証されているものが優位に立てたんだけど、ここまで情報(地図や凡例資料)が蔓延してくると「やってみなくちゃわからない世界」に価値がついていくんじゃないかと思っていて。

体験型イベントやクラウドファンディングなんてその要素が強いなぁと。

 

 

 

だから、これからの子供たちに大人が見せていかなきゃいけないのは「年収何百万とか大きな家に住んでるとか外車乗ってるとか」そういう「この道を走っていくと、こんな未来が待ってるよ」的なものではなく、その行動原理が理解できないけど「すごくエネルギーがあって目が輝いていて、楽しそうに挑戦しているその姿」なんじゃないかな。

 

「未来を見せる」というのは「結果を見せる」ことではなくて、「あらゆる挑戦への可能性とそれに挑む姿勢を見せる」ことなんじゃないかと思うんです。

 

わかりやすく言えば「背中で語る」みたいなもんかなと。

 

 

まぁ、今現在は首から背中、腰から太ももにかけてジンジンきてるので、僕が背面で語れることといえば。

 

 

 

 

「畑の草は、こまめに刈ったほうが良い。」

 

 

…ということに尽きるんだけど。


2 Responses

  1. 中松 徳子

    上芝さんは今日も生きてるなぁ。
    一日一日の生を、生ききっておられる、と感じます。
    その生命のエネルギー、目の輝き、楽しそうに挑戦する姿は人に感動を与え、
    大いなるものが、味方をしてくれると思います。

    • peacock64

      いやー、小忙しいのが性に合ってるんですよね。昔からずっとそうなので自分ではわかんないんですけど。
      まぁ周りが楽しんでくれたら良いなーと思ってます(^^)

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