※この文章は以前「一生懸命を笑え.net」に掲載したものを加筆・転載しています。
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ちょっと前に「くじゃく町」っていう、町というか概念というかコミュニティ寄りの社会実験をしようとしていた事があって。
「まち」を構成している3要素、「文化、経済、生活」を自分たちの手で作ってみようと会議をしたり本を読み漁ったりしていたんですよ。
で。
なんだかんだで突き詰めていくと貨幣経済以前の交換経済に遡って、交換経済×地域で括ってみると「村」に戻ったんですね。
「あれ?それって、村じゃん。」みたいな。
海山川で区切られていた、群れていた時代の「自治」という単位。
自分たちが時代をアップデートしようと考えに考え抜いた結果、コミュニティの本質は「村」の構造で全て説明できたんです。
なんということなんだ。
愕然としたものの、神様に言わせてみれば、
「だからさ、何年も前から言ってんじゃん!!」って感じだろうか。
「村」の経済を簡単に表すと、「価値の交換による相互補完」ということなんですよね。
これが経済の始まりであり、本質なんです。
そのための行動を「働く」という動詞で表し、その行為を「仕事」という名詞で表しただけで。
その仕事をジャンルとして括ったのが、「職業」というわけ。
「しごと」のことをよく、「事に仕える」って言いかたするけどね、もともとの語源は「すごと」。
【為(す)、事(こと)】なんです。
これが変化して、「しごと」になって、当て字になって「仕事」になったんだそうです。
だから、無理して仕えなくっていいんです。
【あなたは何を”する”んですか?】っていうこと。
だから、なりたい職業とか職業別ランキングとかじゃなくってさ。
自分が得意なことで誰かが救われれば、それでいいんですよ。
そんで自分が困ったら、得意そうな誰かに助けてもらえばいい。
そんなことが「線」じゃなくて「面」で循環させることができる仕組みを、「まち」と呼ぶんじゃないだろうかと思うんです。
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僕が思うのは画期的なテクノロジーや社会の仕組み、法律や条例や税制ではなくって。
【 暮らしの修繕、保全 】
自分たちが生きて暮らしやすいように、自分たちの手で最適化していく。
そういう緩やかな繋がりが生まれたらなぁと思っています。
それを楽しく、おもしろく。
しなやかに、ゆるやかに、おだやかに。
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