1週間ほど前、「太郎が街にやってくる!」というタイトルの記事を投稿しました。
今年の大阪マラソン走るっていうのは前から言ってたんだけど、「チャリティーランナーとして5万円集めなきゃいけない」っていうのはあまり告知していなかったんですよね。ファンドレイジングってやつで大阪マラソンの特設サイトがあってそこでも実は支援できたんだけど、その仕組みじゃ面白くないなぁと思っていたので自力で集めようと思ってひっそりと温めていました。
そしてそのファンドレイジングが終わる少し前に、わりと手の込んだ寸劇でもって記事をリリースしたわけです。
そしてその記事のプレビューがこちら。
そして、その記事の最後につけたリンク先(PEACOCK64オンラインストア)=支援ができるページのアクセスがこちら。
、、、、、。
むむむ、むっちゃスベってるーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!
記事を投稿して1日で心が折れそうになった僕に、安西先生は勇気を与えてくれました。
そして急遽、「いやいや、違うねん!あれな、アレやねん!!ほんでな、ほんまはな、これやねーーん!!!!」という掌返しを颯爽と行い、仕切り直しを誓ったのです。
一気に具体的かつ現実的になりました。笑
そして「亜論茶論メンバー」に投げかけたり、会う人会う人に声をかけたのです。
そして11月1日現在までに、「9000円」のご支援をいただきました!!
ありがとうございます(^^)!!!!!
記事にもあるように、5万円は「ひとしごと館」へのチャリティです。
それに到達した場合はついでに、くいだおれ太郎で走ります。
で、せっかくなので、達成額を数値化して「うえしば→太郎」になっていく過程を楽しんでもらえたらと思っていて。
50%達成した時には、うえしばと太郎のハーフ&ハーフが見れると思います!笑
写真は「太郎18%」なので、まだ全体の82%はうえしばです。
そんなことしながらもトレーニングは継続中。
「逆終電ダッシュ」ということで、「難波から服部天神に帰る終電に乗るために12キロ先の服部天神からダッシュする」っていう意味不明な企画を立ち上げ敢行しました。
そしてその日がハロウィンということをすっかり忘れていて、心斎橋あたりで凄まじい数のゾンビとナース、マリオにウォーリー、幼稚園児やガチャピンに進路を遮られ悪戦苦闘しましたが、なんとか終電には間に合い無事帰還しました。
コスプレ勢を横目に見ながら「こんな時、太郎だったらなぁ〜」っていう謎の感情も沸き起こりましたが、もし太郎で走っていたら道頓堀に沈められていたのかもしれません。
そんなわけなので、今月はトレーニングをしながら支援を集め回るという「托鉢」みたいなことに終止しそうです。
…さて、ここからが本題。(長い)
+++++
自分のことなのではっきり言いますが、僕のやってることってひと言でいえば「お金くださーい!」ってことなんですよね。
もちろん、チャリティランだし支援金は僕に入るわけではなく「ひとしごと館」の支援に使われます。
ただ、僕の友達に「ひとしごと館」の話をしてもなかなかピンとこないので、別のキッカケが必要だと思って太郎が出動したわけなんですが。
とはいえ僕もひとしごと館を常日頃から熱烈に支持しているわけでもなくって、たまたまのご縁でボールが飛んできたんです。
ましてや、マラソンなんて走りたいと思ったこともないし、今も足痛いです。
ご近所ではない団体さんのチャリティランナーとして、やったことないマラソンを走り、足痛めたりしながら「お金ください〜」って声掛けまくる。
一種の荒行ですよね。
普段は「貨幣経済を終わらせる!」とか言っちゃってるので余計にです。
でもこの「言いにくさ」って何かというと、「お金をもらう時にはそれ相応の物やサービスと交換しなきゃいけない」という「交換」が前提になっている点だと思うわけですよ。
僕が今やっていることは「シンプルにお金をもらう」ことだし、そのお金に意味を持たせようと思うと「お金を渡した側がさらに意味付けまでしなくちゃいけない」んですね。お金払うし、意味も探す。でなきゃ納得感なんて生まれないわけです。
「なぁなぁ、ごめんやけど1000円くれへん?」みたいなやつですよ、いま僕。
普通に考えたら違和感しかないじゃないですか。
この「お金をもらう時には何かを渡さなくちゃいけないという感覚」や、「しかもその交換品は快適便利や市場価値や意義や意味が明確でなければならない」という「役に立つもの」との交換が必須であるという前提。(全てがそうでもないんだけれど、日常的な感覚はこれが大半だと思う)
でもここを少しでも解消していかなきゃ、僕の思い描く世界は作れないんです。
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例えば、困った時や助けてほしい時、何かにチャレンジしたい時や少し足りない時。
物でも人でもお金でも、「頂くということはお返しを用意しなくちゃいけない」って感覚が少なからずあると思うんです。
で、結果どうなるかって言うと、お返しできる相応なものがないから声が小さくなるんですよね。
クラウドファンディングとかをする時、「リターン(返礼品)」に多くの人が悩むと思います。
1万円の支援に対しては1万円相当(に感じるような)のリターンってあるかなぁと。
でもそうやって考えるとリターン制作費や仕入原価で結局はお金が残らない。
そんな風に、「持っている人しか持たせてもらえない」ってやっぱりなんだかなぁと。
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なので今回の「太郎マラソン」の趣旨というか狙いは、【全く誰の役にも立たない、無くても生活に支障がない=くいだおれ太郎の格好で僕が大阪マラソンを走る】というリターンと【お金】を交換してみること。
そんな、意味まで自分で探さなきゃいけない交換を体験してみる。
僕じゃなくて、お金を渡す側がです。
もう少し抽象化すると、「必要な時に必要な人のところに”融通”される」実例を作りたいんです。
この、「交換」という前提を、「融通」という感覚にすり替えたい。
太郎マラソンに集まっているお金は「一時的に僕のところに融通されているお金」って感じです。
沖縄の「模合」や山梨の「無尽」に近いのかもしれない。
もちろん僕はそれをしっかりと感じているし、みなさんをいつか竜宮城に連れて行ってあげたいと思っています。
「うえしばやからできるんやーん」ではなくって、こういうことをご近所から始めていきたいし、先陣切るのは得意なので。(^^)
こういうことが当たり前になる毎日が来ればいいのにと本気で思っています。
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で、それに慣れてくると「何もお返しできるものがないねんけど…」みたいなことでも、「出世払いでええんやで!」とか「夢見させてもらってる!」みたいなノリ(ある時払い)が生まれるんじゃないのかと。
そして自分がそうなった場合でも、気兼ねなく声を上げることができる。
「ごめーん、ちょっと頼む〜」って。
持ちつ持たれつ、です。
それを「小さな文化経済生活圏=たらいの縁」の中でやりたいんですよね。
僕は別に、日本中がそうなればいいなんて思わない。
僕の身近に、また親しいご近所さんたちの間で「暮らしの伴走者」みたいな人は多い方がいいし、みんながみんなの夢に寄ってたかって寄りかかるって素敵じゃないですか??
「人の棺桶に足突っ込む」くらい前のめりでいたいんです。
「足向けて寝られへん人が多すぎて、立って寝てる」みたいな。笑
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40にもなって5万円くらいなんとかしろよ〜みたいな話もあるけど、そうじゃないんです。
「100人から500円ずつもらう」ことでしか生まれないことってあるんですよ。
そんなわけで、まとめ。
・うえしばはタダでお金もらおうとしている
・その総額が5万円超えたら「タロウ100%」が出動する
・これは「交換」ではなく「融通」なのである
・声を上げやすい環境と関係性を築くこと
・暮らしの伴走者は多い方が良い
・全員で竜宮城に行く
・立って寝る
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そんなわけでみなさん。
いちど、「物を買わない買い物」をしてみるの、どうでしょう?
■https://www.peacock64.shop/items/24150911
ネット決済が苦手な方は僕に直接連絡ください。
托鉢に向かいますので。
大阪マラソンまであと1ヶ月。
僕は僕の道を、僕のペースでひた走ります。
みんなもあれこれがんばって。(^^)
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