新しい生活様式

やっほー!

先月の後半から自粛だ自粛と言い出して半月くらいブログやSNSの更新を止めていたんだけれど、それなりにわかったこともあるのでまた再開しまーす。

 

このPEACOCK64のブログもそうだし、一生懸命を笑えブログ、Facebook、亜論オンライン茶論などなど、1週間の中でもけっこうコンスタントに文章を書いてるんですよね。

それがスポーンと抜けちゃったので、時間もさることながら「頭の空きメモリ」が格段に増えたように思います。

 

なんだかんだで投稿した後はレスポンスも気になるしコメントのレスとかアクセス数の推移とか、ずっと追ってたんですよね。

まぁ、それによって養われる感覚もあるので悪いわけじゃないんだけれど、時間や意識はもっていかれるわけです。

 

なので、率直な感想としては、「ブログを書かないとなると、SNSにアクセスする理由があんまりなくなるなぁ」と。

友人知人の投稿もあるので完全に遮ってしまうとまた支障あるかもだけれど、本当に大切なことなら便りが届くだろうくらいの気持ちで暮らしてました。笑

もちろん、「便りが届く人」になっておかなくちゃいけないんだけどね。

 

 

そんなわけで約2週間に渡る「隠居生活」を振り返ってみたいと思いますー!(#誰が興味あんねん)

 

まず手を付けたのは、長年の僕の肩腰を悩ませていた「リュック重すぎる問題」。またの名を「カバン何はいってるんですか問題」。

こういう性格なので仕方なかったんだけど、とにかくあらゆる状況に対応できるように何でも背中に背負ってたんですよね。

でももう、それともおさらば。ググっと装備を整えました。身軽になったぜ!

 

そんでもって、お蔵入りしていたキックボードとスケボーをステイホーム中のこども達にあげた。

何かと心配ではあるけども、遊びまくってオトナになってほしい。

 

僕は自粛生活を始めたんだけれど世間は自粛を解除の方向だったので、からあげとマクドも再開。

こんなんなんぼあってもいいですからね。からあげラーメンハンバーガー。

 

 

そういえば僕の憧れるキャラクターはみんな下駄やら雪駄を履いてるなぁと思ったので見習って僕も下駄履こうかなと。

すぐさま「オシャレ 下駄」でググってみると、ビームスの下駄を発見!

6月にならないとお店がオープンしないみたいなので、手始めにお手頃な下駄を購入。

今月ですね、「そうだ、(下駄買いに)京都へいこう。」

 

 

隠居生活にはつきものの「自給」。

プランターも空いてたし天気も良かったので、使い勝手の良い草たちを土に放つ。

 

 

うまいこと仕上がってきたら気分で料理にトッピングしたり紫蘇シロップ作ってソーダで割ろう。

スペアザ聴きながら土を混ぜたり種まきする昼下がりは最高の隠居です。Yeah。

 

 

そうだそうだと思い立って、カブのレッグシールドを交換したついでに缶スプレーで塗装。

段ボール敷いてさっさとやったわりにはなかなかの出来。

荷台もやっちゃえと塗り始めたけど、途中でスプレー無くなった。

まぁなんか、こういうポンコツカスタムも良いね。

 

 

こども達にスケボーをあげたので、なんだかんだ自分も欲しくなって余っていたパーツとブランクデッキを買ってきて移動用のスケボーを作った。

とはいえ全然乗ってないし、コケてケガするの嫌なのでたまには滑ろう。

コンビニ行く時とか、郵便出しに行く時とか、そういう時ね。

ハイスタ聴きながらデッキテープ貼って、人生のありがたみを感じた。

 

 

もちろん、仕事もやってたよ。

カレー炊いたり、コーヒー淹れたり。

自粛とはいえ、毎日ちょこちょこ喫茶店したり。

 

 

近所の服屋に寄ったらディッキーズ874のメモリアルフォトブックが積んであったので貰ってきた。

何も書いてなかったからテイクフリーだと思うんだけど、テイクフリーだと思いたい。

 

種まきした後の余り種を亜論茶論メンバーに「いりませんかー?」と振ったら、なんだかんだでみんな種持ってて、急遽「種の交換会」が発足。

朝顔やパクチーも加わって、喫茶ピーコックが種の取引所に。

 

ヒマだったので夜中にギターをポロロン。

「生活」という名曲を作った。

 

曽我部さんがカレー屋を始めたらしい。

カレー、ギター、丸メガネ。

はやく曽我部さんになりたい。

服部を下北沢にしたい。

 

 

そんなわけで有意義な2週間を過ごしたわけなんだけれど、すごく心地よかったです。

で、けっこう前から薄々勘づいてたんだけどやっぱりね、「too much」なわけですよね。

 

テレビもラジオも新聞もインターネットも「便利ですよー」と持て囃されてるわけなんだけど、必要十分の域はとっくに超えていて、むしろ暮らしを脅かす存在にだってなるわけです。

こういう文明の利器のようなものを僕らは「頼る」のではなくて、「使う」という感覚を持ち続けないと危ないなぁと思った。

僕らが本当に「頼る」ときには、「信じることができる」というのを前提に置かないと足元がおぼつかない。

 

「信頼」を育むためにだけ、「使う」。

 

 

便利だなんて嘘だ。

そんなことは自分で決める。

 

 

どこぞの誰かが「新しい生活様式」と言ってますが、僕は僕の暮らしを作り、淡々と粛々と生活を繰り返す。

去年の春に「閉じていく世界」という記事を一生懸命を笑えブログに投稿しました。

◼︎https://isshoukenmeiwowarae.net/post-657

 

その1年後、ある意味では世界が「閉じた」わけで、それなりの弊害もあったわけです。

そして今回、僕は自分で世界をいったん閉じてみました。

 

 

 

僕は僕の、「新しい生活様式」を始めます。

暮らしや生活は与えられるものではなくて、自分たちで生み出すもの。

小さいけれど確かな手触りのある文化経済生活圏で、暮らしの交換会を始めます。

 

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