仕入れと循環が、まちを作る。

決まった時間に決まった場所に行って働く「はたらき」もあるし、時間や場所や人をあれこれと組み合わせながら働く「はたらき」もある。

手を動かして物を生み出す「しごと」もあれば、頭や足を動かして繋がりを生み出す「しごと」もある。

 

どちらにしても、何かしらの仕入れがあって、自分の「はたらき」でもってして価値を生みだし、循環させる、相手に届ける。

シンプルに言えば、喜ぶこと、救われること、感じの良いこと。

それが誰かの「手助け」になれば、仕事になるんだと思う。

 

 

「経済」の語源ってね、、、

 古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略。

「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。

日本では、江戸時代の学者用語に現れ、理念的な政治政策の意味として用いられていたが、しだいに経済運営の意味で使われるようになった。

 

とのことなので、ようするに「誰かの役に立つ手助け」が仕事になれば良いし、それが巡り巡って循環すれば社会や経済は良くなるんじゃないかなぁと思う。

今読んでる本、無印良品の大戦略は「役に立つこと」なのだそうで、気軽に手に取ったものの消費経済のことやなんかに言及していて、すごく良い本。

無印良本。

 

僕は24歳の時に喫茶ピーコックを始めて、今年で15年になります。

はじめの10年くらいはずーっと店にいて、朝から晩まで毎日コーヒーを淹れていました。

あれこれあって、スタッフも育ち、まちに飛び出したのが5年くらい前。

手を動かす仕事と、頭や足を動かす仕事、その両方をバランスとりながらやっている感じです、今は。

 

豊中でワニ肉食べながら未来の話したり。

 

 

服部の社交場「正宗屋」で地元愛深めたり。

 

いろんな人といろんな事を話し合って、新しいアイデアが生まれたり。

 

豊中を離れて、新しい情報や繋がり、視点を仕入れるために勉強しに行ったり。

 

もちろん、手もバリバリ動かしながら。

 

ローカルシェアリングエコノミーを回したりだとか。

 

世の中が「モノからコトの消費に変わった」なんて言いだすと、僕らのはたらきも当然「コト(人)」を仕入れて「コト(人)」を生み出すほうを考えなくっちゃいけないし。

また「所有から利用へ」なんて言うと、購入型の商品だけじゃなくって体験型の商品を作らなくちゃいけない。

ほんでもってさらに「消費から循環へ」なんて話が出たら、循環を促す仕組みを考えなくちゃいけない。

 

 

それをえいやー!とひとまとめにしたら、「人(コト)が繋がって循環を促す体験施設やそのコミュニティ」ってことになるんですよね。

それが結局のところ、亜論茶論やクジャク族やナリカの話になるんだけど、もっともっと突き詰めて考えると。

 

 

いやいや、それって「まち」やんけ、、、。

 

町とか村とかって思いっきり、「人が繋がって価値の循環を促す体験施設」やないかいと。

 

あとはその循環する範囲(経済)をどうやってデザインするか。

キチンとした境界ではなく、グラデーションをどうつけていくかっていう話。

なんにせよ、「仕入れと循環」です。

 

 

とりあえず僕が言いたいのはやっぱり。

・一生懸命を笑え

・この指とーまれ

 

こんくらいですかね。

 

 

一生懸命を笑い合える好循環。

そのために僕は、はたらきます。(^^)

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