【夏の記憶729/819】手話×喫茶ピーコック

7月、8月と喫茶ピーコックでは手話のイベント(マルシェとカフェ)をしました!

まいどおなじみ、”缶バッヂのほりだし屋”高橋さん繋がりで(^^)

 

まずは、7月29日の「デフスマイルマルシェ」から☆

ろうの人でもハンドメイド雑貨やワークショップ、たくさんたくさんされてます。

でもでも、巷で人気のマルシェイベント、聞こえない人たちにとっては説明会や当日のインフォメーションも困りごと。

 

それなら自分らで作っちゃえ!ってことで(笑)、デフスマイルマルシェはスタートしたのでした(^^)

 

僕は事前打ち合わせと当日のコーヒーくらいの関わりだったんだけれど、もうね、すごい人でしたよ。

手話なので、盛り上がると言ってもガヤガヤというわけではないんだけれど、聞こえる人も聞こえない人も、手話できる人もできない人も、100人を超える人が来てくださいました☆

   

 

缶バッヂ、有機野菜、絵本の手話読み聞かせ、アクセサリー、ハーバリウム、エイジングペイントや筆文字、コイケパンも加わって、あっという間の1日でした。

最後には僕の座右の銘も書いてもらって!

 

こういうイベント、他にはなかなかないそうで、また今度はバージョンアップしてやりたいなと。

イベント後のミーティングも、参加のみなさんすごく真剣に意見出し合ってました(^^)

 

続いては、8月19日、近畿ろう学生懇談会さんの「近コンカフェ」!

こちらも高橋さんからの繋がりで、近畿のろう学生が集まって運営しているカフェです。

 

今回は喫茶ピーコックで手話カフェを。

(※あまり写真が撮れてなくて、すんません~(^^;;)

ギタスナフェスでご一緒の奥田ちゃんが来てくれました☆

筆談とジェスチャーで思いっきりなじむ!(笑)

 

もちろん、キッチンも学生が入る。

僕はフラフラと歩き回ったりたまにちょっかい出したりしてただけでした(笑)

 

 

 

無事にラストオーダーまで終わったら、次は僕の出番。

イベントの打ち上げ用の料理をピーコックスタッフ小池と2時間で仕上げます!

 

こっちは事前にも打ち合わせしてたし、お互いそれなりの飲食経験があるのでね。

なんちゃってコース料理をせっせと24人前☆

がんばりました(^^)

 

 

 

高橋さんと知り合ってから、聞こえないひとと関わったり、手話を知ったりと世界がまた広がりました。

とは言え、僕が覚えている手話って20個くらいしかないんです。

あとは単なるジェスチャー(笑)

それと、口のかたち。

 

こっちの伝えたいこと、相手の伝えたいこと。

その間に「音」がないだけなんです。

つまりは「音」以外で伝えればいい。

それは身振りだけじゃなくて、周りの状況や相手の気持ちを察すること、文字を書くこと、にっこり笑ったり、変な顔したり。

 

「障がい者」という言葉があるけれど、それは「特定の誰か」にあるんじゃないんです。

「あなた」と「わたし」のあいだに、ちょっとだけあるんです。

ただそれだけのこと。

 

それを越えるための方法を探せばいい、みんなで工夫すればいい。

そこに楽しみがあり、そこで一緒に遊べばいいと思う。

 

今回のカフェ、お昼時30人くらいいた中で手話ができないの僕ひとりでした。

聞こえるのはもう一人いたんだけれど、その子は手話できたので。

僕が圧倒的マイノリティだったんですね。

 

でも、そこに壁は感じませんでした。

そこにいるみんなが僕に親切にしてくれたことと、僕もその場を楽しめたからだと思います。

そこには信頼があって、笑顔がありました。

 

「あなた」と「わたし」のあいだに、少しの差があって、そこをどうしようともしなかったり、どうやっても埋まらなかったり、関わろうとしなかった時に、数の多いほうが数の少ないほうに対して「障がい者だ」と決めてしまうように思うんです。

今回でも29人が僕に対して「あなたはなぜ手話ができないんだ」「手話でしか説明できません」「こちらの世界に合わせてください」という風に迫ったら、僕はきっと動けなかったと思う。

 

 

僕らの世界は「数の多い人向け」に作られているんだけれど、そこに合わせて、そこに向かっていくことがこれからの時代「豊か」なのか?

多様性といいながら個を尊重しつつも、繋がること、関わること、交わることを忘れてはいないか?

 

 

「手話」を知るまではこんなこと考えもしなかった。

「聞こえない、音のない」世界なんて想像もしなかった。

 

 

でも僕も、メガネを外せば「ほとんど見えない世界」になる。

もし、メガネとコンタクトが世界から消えて、「しっかり見える人たちだけ」で世の中を作ってしまったら僕は絶望するだろう。

 

 

暮らし合う世界、満たし合う世界。

 

「あなた」と「わたし」のあいだにある、ほんの少しの差は、「関わり合うための余白」なんだと思う。

 

そこにどんな絵を描き色を添えるか、そこに楽しさや豊かさがあるように思うんです。

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