不労の経過観察報告。

 

今年に入ってすぐ、「豊中こどもれもねいど」終了宣言をしたんですよね。

そっから「時間がたくさんほしいなぁ」と思って、関わっていたあれこれを整理し始めて。

とにかく「時間」を作りました。

 

 

 

【 一生懸命を笑え.net 】にも「不労のフロー」という記事を投稿したんだけど、思い立ったら即実行ってこういう時にも発動されるんやと自分の行動力(この場合は、行動しないぞ!という行動)を実感したわけであります。(笑)

■ https://isshoukenmeiwowarae.net/post-588

 

 

何を思い立って、、、と周りには聞かれたんだけれど。

 

・時間がない!と嘆く人が多い今こそ、「時間持ち」の相対価値は上がるんじゃないの?

・ベーシックインカムなんて施行されたら、僕らは「時間の運用」に四苦八苦するんじゃないの?

・時間を経済資本にだけ変換するんじゃなく、文化資本・関係資本に分散させた方がリスクヘッジになるんじゃないの?

 

…みたいな仮説を立てての実験行動だったわけです。(他にもまだあるけどね)

 

 

 

数年前から喫茶ピーコックはかなりの部分をスタッフに任せられる仕組みを作ったので、僕は雑用係に昇進しました。

基本スタンスは「足りない部分を補う」という、お助けおじさん的扱いを受けています(笑)

 

とにかく時間があるので、この時間をうまく運用する練習をしようと思ったんですよね。

で、そんな暮らしを2ヶ月くらい続けていると、いろいろと変化が出てきまして。

 

 

 

まず手始めに、「よく寝る」ことにしました。

基本的に23~24時には寝て、7~8時には起きる、8時間睡眠。

しかも、寝る数時間前にはご飯を食べず、スマホも控えて、体操して、本をゆっくり読んで寝ます。

で、朝起きたらすぐお湯を沸かしながら体操して、コーヒーを淹れて、本を読みます。

去年の今頃は3時に寝て、9時に起きるっていう感じだったし、寝る前にラーメン食べたりからあげ食べたりしていました(笑)

 

 

今、8時間くらいよく寝て、本読んだり、ゆっくりご飯食べて4時間くらい。

なので1日の半分、12時間くらいをゆっくりと自分で使っている感じです。

 

 

そんな暮らしに切り替えて、まず変わったのが。

 

・からあげ・ラーメン・ハンバーガーをあんまり食べなくなった!!

 

今でもたまに食べますけど、前は味の濃いものやその時食べたいものを遠慮なく食べてた気がします(笑)

最近は晩も早めに済ますので、ご飯とおかずみたいな感じです。

 

 

「よく寝て、しっかり食べて、ゆっくり動く。」

 

こんな感じでやってると更なる変化が。

 

 

・物をあまり買わなくなった!!

 

前は、「生産性を上げよう!」だの「自分へのご褒美!」だの言って、あれこれ買ってましたが、最近はそれも減ってきました。

買うのって、日用品と本、店の備品、とかかな。

夜な夜なアマゾンをうろうろすることもなく(笑)

 

 

 

外食もせず、買い物もせず。

もともと、お酒も飲まないし、タバコもギャンブルもしないし、車も家も持ってないし、これといった趣味(ゴルフとかサーフィンとか)もないので、「消費」がどんどん減るわけです。

お金をあまり使わない暮らし。

本を読んで、ブログを書いて、コーヒー淹れて、体操するみたいな。

 

 

そこでちょっと思ったのが、「生存活動」を充実させると「消費活働」は減少するんじゃないか?っていうこと。

(※生存活動=食べる、寝る、動く)

 

「消費活動」はある種のストレス解消にも繋がってると思うんですよね。

大きな買い物をするだとか、贅沢に食べるとかって。

本当にそれが必要なのか、それがないと生活ができないのかって言うとそうでもない場合がほとんどなので、やっぱり「消費」と「生存」は別の活動だと思うのです。

 

 

で、消費が大きくなってくると、生存を脅かしてきます。

睡眠時間を減らしたり、忙しなく動いたりして、元手を稼ぐ時間を増やしたり、時間単価を上げようと動きます。

それはそれで成果や結果も出るので収支のバランスは取れるんだろうけれど、それなりの負荷がかかるので、また消費で相殺しようとします。

 

 

ここで難しいのが、「好き」や「やりがい」や「使命感」が重なってくる場合なんだけど。

これには達成感や充実感が伴うので、境界線があいまいになってくるんですよね。

 

この話をすると収拾がつかなくなるので、ここではあくまで「時間とお金」にスポットを当てて書いていきます。

でもたとえば、「睡眠を削って ”こどもれもねいど”のイベントを開催し、達成感とともに焼肉を食べる」っていうのは、生存活動に負荷をかけつつも達成感を感じ、消費でもって相殺するも、焼肉のお金を捻出するために生存活動を脅かしている」ともとれます。

 

「消耗を消費で補い、消費の元手を消耗で捻出する。そしてまた消費で補う、」みたいな無限ループが成立しちゃうわけです。

そこへ「好き」や「良い」が重なるから余計難しい話になるんだけど。

 

 

こうやって書くとなんだか暗い話になっちゃうけど、そういう実感を持った僕が考える理想のループは。

 

・時間を増やす ↓

・余裕ができる ↓

・消費が減る ↓

・お金使わない ↓

・時間ができる → ↑

(※時間=充実した生存活動時間)

 

…っていう、「逆ZOZO前澤さん」みたいな感じになればなぁと。(笑)

 

 

でもここでひとつの問題が。

12時間を自分で食べる寝るに使ったとして、あとの12時間だって1日が過ぎたら消えちゃうじゃん!ってこと。

 

 

お金の機能のひとつに「価値の保存」っていうのがありますよね。

お金は腐らないので、肉や魚の物々交換では成し得なかった「価値の保存」が可能になりました。

当然、「時間」も保存ができないので、どれだけ時間を増やしても(時間持ちになっても)24時間以上は持てないし、24時間以上は保存できないわけです。

 

 

そこで、「充実した生存活動に費やす12時間」以外の時間(残り12時間)を保存せずにどうするかって話なんだけど。

 

 

ひとつは、経済資本(お金)に変換しておく。

でもここには、金融資本主義×ハイパー消費社会という魔物が潜んでいます(笑)

一番シンプルでありながらも、限られた資源の取り合いなので競争が激しめ。

 

次に、文化資本(知識や経験)に変えておく。

知識や経験は忘れない限り減らないし、必要に応じて他の資本に変換できます。

もちろん、お金でしか得られない文化資本もあるのでそこはバランスです。

 

最後は、関係資本(交友や互助)にしておく。

ようするに、周りとの「お付き合い」です。

共有したり、貸し借りしたり、助け合ったり。

 

 

僕は残りの12時間を、文化資本と関係資本に変えておくのがけっこう良いんじゃないかと思っていて。

「本を読んで、話を聞く」みたいなもんですよ。

もちろんお金は必要だし、経済資本とのバランスもあるんだけど。

 

・時間→お金

・時間→知識

・時間→繋がり

 

このあたりをきちんと捉えておきたいなぁと。

 

 

で、冒頭にも書いた「時間を時間のまま運用する」って話なんだけど。

 

ようは、時間の足りていない人に時間を「渡せば」いいんです。

まるまる12時間でなくても、必要な時に必要な時間を融通してあげる。

「お手伝い」といえばわかりやすいかもしれない。

 

そこで時間を融通した対価として何かと交換するのかっていうのは個人の自由だけれど、価値(時間)を融通した時点で相手はぞの事実を受け取っているので、ある種の取引は成立しているわけです。

それと、融通する価値は「記名性」が良くって。

お金は「匿名性」が強い価値なので。

 

結局のところ、「未決済の記名性の価値が自分の生活圏を漂っている状態」が一番良いなぁと。

 

 

やっぱり。

「働く」っていうの、こういうことなんじゃないかって思ったんですよね。

 

 

 

これが「時間の運用」です。

で、この「他人に融通する時間」に「職能」を掛け合わせて価値を高めたものが、「仕事」になるんじゃないかな。

 

「仕事(しごと)」って、語源は「為事(すごと)」なんですね。

「他人に為る事」が訛って、「しごと」になったそうです。

 

 

「時間」を持ってみて、わかったこと。

 

現場からは以上ですー!

また追加報告するかも(笑)

 

そういえば、去年の今ごろも「くじゃく町」で同じような話をしていたなぁと。

ずいぶんと掴めてきた感はあるけどね(^^)

 

 

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